第二章・・・Come back soon !!




“Ladies and gentlemen , this is your 5 minutes calll....”
舞台監督助手園子さんの、少し早口な、そしてきびきびした場内アナウンスが流れる。
2002年9月3日、午後1時30分、ミュージカル「太平洋序曲」ワシントン公演、アイゼンハワー劇場
ドレスリハーサル(最終舞台稽古)は予定通りとりおこなわれた。
「どうぞ・・・」
園子さんからキューが出される。二人の出演者がゆっくりと、闇に映える白木の舞台へ歩を進めていく。
三味線の音が響く。幕開きだ・・・
不思議だった。この袖で待つ数秒間は、ここが異国の地であることをまるで感じさせない。かといって、
日本にいるような・・・という訳でもない。それは場所とか、ひょっとしたら時間の概念すら超越した
異空間への・・・あ、いやいや、そんな小難しいものではなくて、これから私達がタイムスリップする
江戸時代への控え室だった。

冒頭のナンバー「太平の浮島」で、とんでもないことが起きた。
ある歌詞をみんながそろって間違えたのである。いや、正確に言うと「とある面々」が一斉に3番を2番の
歌詞で歌ったのだ。それがあまりにも「揃って堂々と」間違えたので、むしろ正解組の方が臆して
しまったのである。かく言う私もその口だった。次の一瞬、正解組も不正解組も突然エアポケットに
入ってしまい、誰も歌えない。重苦しい沈黙に右往左往するばかり。
「ウミノマンナカニ!!!!」
指揮者の西野さんが慌てて助け舟を出し、やっと歌を再開できた。
本番だったら大変なことだったが、その後は、みんな落ち着いてどうにか最後までやり通した。
慌てることなく、むしろ笑顔さえ浮かべ、何事もなかったかのようだ。
袖に引っ込んだ私はなんだかしっくりこない。
この手の間違いは稽古中もよくあったし、「今のうちやっといて」むしろよかった。
本番をちゃんとやればそれで良いのだ。
だが・・・なんだろう・・・
なにかが心にひっかかる・・・

「黒い竜」のナンバーで私は、ほんの一瞬「野蛮人に襲われて逃げ惑う哀れな男」を演じている。
・・・まあ、「演じる」と言うほど大層なものではないが、ソンドハイムが書いた譜面の中には確かに、
男:「ひえ〜〜っ!」のくだりがある。
「治田さん、ここ、なんか面白いことやって下さい」
と、亜門さんに突然言われ、とりあえず「なんか」やったら「うわっ、つまんなーい!」と、罵倒されて
しまった。苦肉の策が、もろ肌脱いで頭に腰紐を巻き、「異人に犯された商人の悲劇」をやったら、
これが大ウケだったのだ。
実は私、この後が大変な「早替え」なのである。
「ひえ〜っ」と叫び上袖に入るや否や、下手へ向かってホリ裏を全速力で走り、着物を脱ぎ、
こしらえ場でアメリカ仕官服に着替え、靴をはくと同時に仮面をかぶりつつロビーを突っ走る。
そして、何事もなかったかのように花道から登場するのだ。
この時、よく仕官服と冒頭の黒服(私達は学生服と呼んでいた)とを間違えてしまい、
「あ、治パパ、学生服・・・」
と、先にスタンバイしている広田に揶揄された。それを見て吹き出すみんなを尻目に、
「ばかやろう、お、お、おれは中国人の仕官をやってんだ・・・!」
と、訳のわからないことを言っては呆れられた。
私達が花道に現われると同時に、巨大な星条旗が一挙に空を覆う。この作品の見せ場の一つだ。
ニューヨークではドレスリハーサルの時でさえ大きな拍手が起きた。しかし、今回は・・・
反応がない。
まあ、リハーサルだし、あまり観客もいないし、それに、みんな「見慣れた」のだろう・・・
・・・だが、ワシントンの人達は初めて見るはず・・・
ふと、花道から客席を見下ろすと、髭をたくわえた見覚えのある外人が二人座っている。
この作品の作家・ワイドマン氏と、作曲家・ソンドハイム氏である。今までなら思いきり笑みを浮かべ
拍手をおくってくれたのに、椅子に深く腰掛けたまま、なんだか浮かぬ顔だ。
見上げると、グランドサークルに座るアメリカ人も冷めた顔である。
同じこの瞬間、ニューヨークの二階席は興奮のるつぼだったのに・・・
どうしたのだろう・・・何が違うのだろうか・・・
気落ちした私はなんとなく伏目がちになってしまった。
自分の着ている衣装が薄暗い照明の中にぼんやり見えた。
あ・・・
それはまぎれもない学生服だった。




「私達、演出サイドも大いに反省しなくてはなりません・・・」
ドレスリハーサル終了後、アイゼンハワー劇場ロビーにて
ダメ出しが行なわれた。
亜門さんが少年の笑顔を消している。車座になって座る
私たちも彼の様子の変化を敏感に感じ取っていた。
「どこがどう悪いと言うわけではありません、
むしろ『順調に』いったのかもしれません。ただ・・・」
亜門さんは、演出助手の和美さんと目を合わせた。彼女がうなずく。
「みなさんから・・・あのニューヨークの時の、
あの緊張感が消えたのではないでしょうか」
あ・・・
「私達も、それは同様だったかもしれません」
これだ・・・
「キャストもスタッフも、何の心配もしていませんでした」
私がこの2,3日、感じていた・・・
「みんな、ニューヨークが終って、多分に『慣れて』しまったと
思うんです」
小さな不安の正体は・・・
「スティーブ(ソンドハイム)とワイドマンが今日の通しを見て、
こう言いました・・・


【今回のケネディーセンター・パンフレット】

『アメリカのみんなにこいつらは本当に凄いんだぞって自慢していたのに、今日見たら、
あれ、こんなもんだったっけ!?』って・・・
大ヒットで1年間ロングランを続けた後の安心しきってウケに走り、だれきったブロードウェイの舞台
みたいだそうです。
私も彼らに言われてあーっと思いました。それは、こちら側にも責任はあります。
しかし、みなさんも少し考えてみて下さい。
私達は、あのブロードウェイで、あれだけの評価を得ました。それは誇りに思って良いことです。
みなさんの実力を私達は少しも不安視していません。
じゃあ、今日の通しで何が足りなかったか・・・
ほんのちょっとしたことだと思うんです。
ほんのちょっとした気持ちの持ちようで、大いに変ると思うんです。
相手のセリフをもっと新鮮に聞いてそれに新鮮に答え、ウケることが分かっていても大袈裟にやることなく、そして何より舞台に集中することではないでしょうか・・・」
亜門さんは静かに、しかしきっぱりと語った。そして、(皆を萎縮させては行けないと思ったのだろう)
あの少年の笑顔を浮かべ、こう締めくくったのだ。
「もう一度、初心に戻りましょう」
皆は黙ってこの演出家の話を聞いていた。
やがて誰からともなく立ちあがると、それぞれが、それぞれの思いで楽屋へ足を向けた。
ある者は台本を開き、ある者は振りを、音をさらい、そしてある者は心の中で役を反芻した。
4時間後、プレヴューは幕を開ける・・・



【前回ニューヨークで越智さんと、
 彼女達は突如どこからともなく参加】


「どうしたの、治ちゃん?」
初日開けて三日目、本番終了後なにやら困った顔をしている私を見て、帰り道一緒になった
越智さんが聞いてきた。
「いやね、大した事じゃないんですけど・・・困ったな・・・」
「どうしたの?」
信号が赤に・・・あ、いや“Wait”に変った。NYでは“Don't Walk”だったのにワシントンでは表示が違う。
違わないのは、どちらの都市でも表示を無視して渡ってしまうところだ。
「いやね、今夜の酒がないんですよ・・・」
ホテルから劇場までは徒歩10分くらいで、その途中にあの盗聴事件で有名なウォーターゲートの
ビルがあり、そこに大きなスーパーと酒屋がはいっている。しかし、10時で閉まってしまうのだ。
開演が7時半だから、劇場を出るのはどうしても10時を過ぎてしまう。困ったことにストックがないのだ。
NYのように24時間営業なんて店は近所にない。セヴン・イレヴンはあるが、その名の通り11時で
閉まり、おまけにアルコールは置いてない。日本のコンビニは実に優秀だと改めて思った。
今夜はグラスを傾けながら、じっくり「あの記事」を読みたいのだ。
「越智さん、赤ワインなんか余分に持ってないですよね・・・?」
「あるよ・・・」
「ええっ!?本当ですか、ちょっと売ってくださいよ!!」
「いいよ、あげるよ、部屋に取りにおいで」
「ありがとうございます!!!」
その夜のメニューはステーキだった。日本に比べて牛肉は各段に安い。セイフ・ウエイという
ウォーターゲートのスーパーはとても充実していて、料理好きの私にはディズニーランドより楽しい
テーマパークだった。

食事を終えた私はおもむろにワシントン・ポスト紙を広げた。「太平洋序曲」の劇評が出ているのだ。
ページをめくる右手が少ししびれる。「今日の料理」で覚えた「固いお肉を柔らかく仕上げる焼き方」を
実践したのに、ナイフを持つ右手はけんしょう炎になってしまった。
牛肉は日本産に限る・・・
しかし、越智さんにもらった赤ワインは肉の失敗を補って余りあるものだった。大好きなカベルネ・
ソーヴィニョン種で、そのふくよかな香りと喉越しの柔らかさは就寝前の一時を共有する絶好の
友であった。
“Sondheim,gaining much in the translation”
「日本語上演で株を上げたソンドハイム」
見出しを見て先ずびっくりした。ニューヨークタイムズ紙の穏やかな賞賛と打って変わり、かなり
あからさまな誉め言葉である。
記事の本文に至っては、「新国立劇場制作の太平洋序曲は最も感動的で分かりやすく、
心奪われる舞台である・・・」等々、こちらが気恥ずかしくなるくらい、手放しの誉めようだった。
あの日、亜門さんの「静かなダメ出し」の後、幕を開けたプレヴューはその前のドレスリハーサルとは
およそ違ったものになったらしい。
なにより、最後のナンバー「ネクスト」が終った直後の怒涛のような拍手と歓声、そしてカーテン
コールで総立ちになった観客の熱狂がそれを物語っていた。
アンコールを終え袖に引きあげてきた私達を、(いつの間に来たのだろう・・・)ソンドハイム氏が
“Great show !! ”と、握手で迎えてくれた。「こんなもんだったっけ・・・」と7時間前嘆いた、
あの初老の作曲家が、今は子供のように喜んでいる。
プレヴュー開演1時間前、大島宇三郎さんが集合をかけた。
「あんなこと言われちゃってさ、悔しいよね。でも、確かに油断はあったのかもしれない、
なんにも言わなくたって、みんな分かるよね・・・!」
皆は宇三郎さんの言葉に静かに頷き、そして心ふるわせたのである。
その後、初日、二日目と、日を追うごとに客席は興奮を増していき、ニューヨーク公演を上回る
勢いだった。
ふと、記事を読んでいた私の目が一点で止まった。
見覚えのある文字がそこには書かれてある。
“Atsushi Haruta”
私の名前だ・・・ドキリとする。
ワインを一口含み、続けて読んでみた。
“Atsushi Haruta is a giddy show unto himself as the French admiral ,
right down to the blowing of those little kisses. ”
「フランス提督を演ずる治田敦は、彼の存在自体がすでにギディーなショーである。
それは、彼が度々行う投げキスに至るまで徹底されている」
たった一つの単語で、これほどまでに心が乱されるとは夢にも思わなかった。
間違いなく、「誉めてるのか、けなしてるのか」どちらかなのだ。
だが、それを決めるキーワードがわからない。
なんなんだ・・・
「ギディー」って・・・!!!???

「うーん、日本語にすると難しいけど・・・『お茶目』だとか『ハイな』とか言う意味よ」
翌日、通訳のショウコちゃんに恐る恐る聞いてみた。なにしろこっちは半信半疑だから、もし
けなされた場合も想定して心の準備はしていた。
「ううん、すごく誉めてるよ。治田さんがこのショーの中で、『いるだけでお茶目なショーだ』って・・・」
私は彼女の解説をうっとりと聞いていた。日本ではお客さんにはウケても記事に書かれることは
あまりなかった。まして名指しで誉められるなどほとんど記憶にない。
アメリカ人が気に入ってくれた・・・
それも、こんなに・・・
私の顔が緩みっぱなしだったのは言うまでもない。




【大統領席から見た舞台(Photo by Haruki Sayama)】


【ソンドハイム氏ワイドマン氏と】


へんだ。
妙に熱っぽい。頭はフラフラするし、体はだるい。喉は唾を飲むたび激痛が走る。
昨夜、暑苦しかったので窓をあけて寝た。だが、明け方あまりに寒くて目が覚めたのだ。
ベッドの中で悪寒を感じた。
ワシントンのこの時期は、日中と夜、明け方の温度差が激しい。
・・・やられた・・・
金曜日、その日の夜はなんとかこなした。だが、翌日は二回公演だ。
今回の海外公演で、たった一日だけの二回公演・・・よりによってそんな日に・・・
食欲はまるでない。なんとか牛乳とシリアルを胃袋に流し込み、日本から持ってきた薬を飲んだ。
一杯着こみ、バスタオルを何枚も体に巻き、毛布をかぶって寝た。
ひどい寝汗だ。何度も「起きては着替え」を繰り返した。
氷水を作りタオルをぬらす。おでこがひんやり気持ちいいが、すぐにぬるくなってしまう。
その度にまたしぼった。
劇団四季時代、名古屋で「美女と野獣」をやっていた時、40度の発熱で舞台に立ったことがある。
そういえば、あの時も二回公演・・・
いったい、今、何度あるんだ・・・
借りてきた体温計を口に入れる。ピッと音がして、取り出すと・・・
104度・・・ええっ・・・ひゃ、ひゃくよんど・・・!!!???
あ・・・華氏か・・・
摂氏だと・・・ええと・・・32引いて、9分の5を掛けるから・・・
ああ・・・やっぱり40度だ・・・
「エリザベート」の結石で倒れた時もそうだった。
どうして自分が病気する時は、いつも、決まって、二回なんだろう・・・
そんなことをぐたぐた考えていたら、あっという間に夜明けになった。

なんとか劇場までたどり着く。
結局、一睡もできなかった。皆が心配して、ビタミン剤だのドリンク剤だのプロポリスだの、
ありとあらゆる差し入れをしてくれた。
「だいじょうぶ・・・」
それだけを、うわ言のように繰り返した。
女将の出番だ。
袖でスタンバイしている時、床の冷たさが裸足の足にこたえた。なにしろこちらの冷房のききかたと
いったら尋常ではない。時折、体中に悪寒が走った。
だが、一旦出てしまえば不思議にしゃきっとする。これが舞台の魔力と言うやつだろう。
妙に冷静な自分がいた。喉が充血していたから一時的にはかえっていい声が出てたかもしれない。
問題はフランス提督だった。
健康の時でもきついナンバーなのに、果たしてこの状態でやれるのだろうか。
なにしろ、花道を行ったり来たり動きまくり、止まって歌うことがないのだ。
それに、ここだけの話だが、衣装のコートが実に重い・・・
予想は見事に的中した。
花道に立った瞬間、自分でもびっくりするくらいふらついた。
翌日、病院に行くことになるのだが、看護婦の問診に私はこう答えた。
「めまいとか吐き気とかありますか?」
「・・・踊ってる時に・・・」

マチネとソワレの間は劇場の衣装スタッフが楽屋にベッドを用意してくれた。
ドロの様に眠った・・・と言いたいところだが、相変わらず夢ととうつつをさ迷っていた。
定かではないが、亜門さんが見舞いに来てくれたような気もする。
そして、ソワレが始まった。
女将もフランス提督も、どう演ったのかまるで記憶がない。だが、根がいやしいのだろう、
ウケたことだけは覚えていた。
「ネクスト」が終わり(改めて思ったが、このナンバーはどうしてこんなにジャンプが多いのだろう・・・)
袖に引っ込み、回りに誰もいないことを確かめると、その場にへたり込んだ。
やっと、終った・・・
その夜病院に行こうという話だったのだが、一刻も早くベッドで横になりたかった。
「今日はこのまま・・・明日、起きてだめだったらお願いします・・・」
「ああ、そうした方がいいよ」
制作の北澤さんが心配そうな眼差しを向ける。
みんなの「はるパパお疲れさん、ゆっくり休んで」の声が、あちこちから聞こえた。すると、向うから
すごく太った女性がその巨体を揺らしながら、私のところに近づいてきた。
今回好感度NO1、衣装スタッフのべスである。
“Hi , Beth...Done...”(やあべス、やっと終ったよ・・・)
“You are trooper ! ”
「トゥルーパー・・・!?」
TROOPERとは彼女の説明によると、袖でグロッギーでも舞台に上がると、あっという間に変身する
役者のことを言うんだそうだ。彼女は私に向かって、その太い親指を上にかざしにっこり笑う。
“Thank you ,Yes , I ' m a trooper !”
と、叫んでスーパーマンのポーズを決めたら、すぐにふらついた。

この日の一日はおぼろげの記憶の中でゆらゆらゆれている。
だが、二つだけは今もはっきり見えるし聞こえてくる。
終演後、楽屋にやってきた亜門さんの少年の笑顔、そして、あの明るい声だ。
「治田、『今までで一番』良かったよ!あれだよ俺が望んでたのは・・・
力抜けてて、本当に良かった!」
もうろうとした頭の中で私は反論した。
「力抜けてて」ではない。
「力がはいらなかった」のである・・・






【謎のビルの正体は・・・】

【ワシントン大学病院】


ワシントン大学病院はホテルから歩いて5分くらいのところだった。
翌朝、熱はかなり引いた感じだが、喉が焼けるように痛い。喋ろうとするが音声にならない。
必死の思いで制作の近藤さんに電話した。
「こ、こ、こ、こえが・・・・出えへん・・・!」
「わかりました、すぐ手配します」
彼女は迅速に対応した。今日は千秋楽だ、なんとかしないと・・・
高瀬さんと近藤さん、二人の女性に付き添われ、おじさんは早朝病院へと向かう。
日曜日であったから急救病棟である。
待合室は、さほど込んでなかった。車椅子に座った黒人が、きつそうな顔をしてうつむいている。
「治田さん、同意書にサインして下さい」
近藤さんが書類を一通持ってきた。
「ど、ど、どういしょ!?」
死んだら、腎臓とか、肝臓とか取られるのだろうか・・・?
「ど、ど、どないしょ!?」
「しゃれてる場合じゃないでしょ。ここは大学病院ですから、治療の過程は研究の対象になるとか、
そいういったことです」
彼女は淡々と諭すと、書類とペンを渡した。私はふらつく頭でサインした。
読むと冒頭に、「この病院は国籍、人種、肌の色などで区別することなく治療します・・・」
といったことが書いてある。肌の色・・・
車椅子の黒人と目があった。
そうか、ここは、アメリカだったな・・・

待っているうち、うとうとと寝てしまった。
「アッチート,ヒャァル―タア」
看護婦の呼ぶ声で目が覚めた。アッチート・ヒャァルー・・・あ、おれの名前だ。
彼女との問診がしばらくあり、それから私は診察室へと連れていかれた。
「着替えてベッドに横になってお待ち下さい」
そう言うと、看護婦はカーテンを閉め出ていった。ベッドの上に割烹着みたいなものが置かれてある。
手に取ると、たたんであるわけでもなく、クシャクシャで裏返しのままだ。
洗てんのやろか・・・
Tシャツを脱ぎ割烹着を着こむと、ひもを前で結んだ。
「大丈夫ですか?」
「どうぞ」
近藤さんはカーテンを開け中へ入ってくるなり、プッと吹き出した。
「治田さん、それ、前後ろ逆です」
ひもは後ろで結ぶらしい。そんなこと言われたって・・・
最初にやってきた先生はアジア系の若い男の先生だった。
「はじめまして、リーといいます、よろしく」
笑顔がさわやかで、とてもきさくな青年だ。
青年は症状を聞き、カルテに記入していった。熱を測ると、38.5度。随分下がったような気がして
いたのだが、まだかなりある。
彼は近藤さんから私が舞台をやっている事を聞くと、とても興味を示した。そして、これよりもひどい
状態で前日、二回やったことを知ると「信じられない」と声をあげた。
話していくうちに波長が合うのか、私達はすぐにうちとけた。病状以外の雑談もした。
「バリトン?」
「ううん、テナー」
「なんの役、やってんの?」
「マダム」
「・・・!?オウ、グレイト!!」
「ベリー、ビューティフル」
「だろうね(笑)・・・ワシントンで一番気に入ったものはなに?」
「ロブスター」
間髪を置かず答えたら、椅子から転げ落ちゲラゲラ笑った。

次に来た先生はDr.セレンスキー、名札に肩書きが書いてあって、“President”と読めた。
とにかく「主任」なのだ。まだ、30代前半くらいなのに、さぞかし優秀なのだろう。
先生はリーさんと同じ質問をした。看護婦の問診を含めて、これで3度目だ。
割烹着のひもを外し、背中を触診する。近藤さんの指摘を聞いといて良かった・・・
巨大な錠剤を1つくれた。当たり前だが、飲めと言う。
こんなに大きいのを・・・!?
後でべスにその話をすると、それは“HORSE PILL”だと、教えてくれた。
「馬錠剤」・・・
意を決して口に含む。蛇が卵を丸呑みする時はこんな感じなのだろう。
次に、綿棒のうんと長いやつを取り出すと、セレンスキー先生は喉の奥の組織を採取すると言った。
私が顔をしかめると、にこにこ笑って言った。
「そう、ほんのちょっとだけ不快かもね」
・・・かなり不快だった。
「水分を取った方が良いな。グレープジュースとオレンジジュースがあるけど、どっちがいい?」
診察を終え、セレンスキー先生は聞いた。
「両方・・・」
私がうつろな目で答えると、彼はケラケラわらってOKと答えた。
「何か、他にしてほしいこととかある?」
私は少し考えて答えた。
「まともに歌って踊りたい」
「・・・わかった、全力を尽くすよ」
セレンスキー先生はそう言うと、カーテンを閉め出ていった。
すぐに看護婦がジュースを二つ持ってきた。グレープジュースがとても美味しかった。
もっといる?と、聞くから、グレープをくれといった。その後何回か、おかわりはどう?と、
彼女は聞きに来た。ありがとう、もう結構ですと答えた。
ノースウエストのスチュワーデスより、うんと好感が持てた。

結局、セレンスキー先生の後、もう一人の先生が診察に来た。ちょっと年配だったから、彼がボスなの
だろう。問診を含め都合4回の診察だ。誤診を避けるためだろうか、アメリカは念がいっている。
セレンスキー先生の「綿棒拷問検査」の結果、細菌感染はないとのことだった。
高瀬さんが会計に行くと、近藤さんがすっと近寄ってきた。
「治田さん、『外から』鍵のかかる診察室があるんですよ・・・」
彼女はそっと指差しながら耳打ちする。見ると確かに、三つ先の部屋がそうなっている。
ものものしい扉に、これまた厳重な鍵がついている。普通の部屋はカーテンを閉めるだけだ。
写真を撮ろうと思ったが、さすがにそれははばかられた。
精神異常者とか、凶悪犯罪者を診察するのだろうか・・・
ゴクリと唾を飲む・・・あ・・・
・・・あんまり痛くない・・・「馬ピル」がきいたんだ・・・!
「さっき待合室で、治田さんは寝てらしたんですけど、両脇を警官に抱えられた男が通ったんですよ。
よく見たら、手錠掛けられてたんです・・・!」
近藤さんは、あたりをうかがいながらひそひそ声で話す。
「なんで起こさないのよ、ばかっ・・・!」
私のジャーナリスト魂に火がついた。
「そんなこと言ったって・・・」
近藤さんも言い返す。ふたりのいさかいは待合室に小さくこだました。
良かった、元気になって・・・
会計を済ませながら高瀬さんは思うのだった。





【元気だったあのころ・・・】




【瀕死のはるパパ(photo by 制作)】





2002年9月8日、午後11時、ミュージカル「太平洋序曲」ワシントン公演は無事幕を降ろした。
あれほどの熱狂を私は知らない。
最後のナンバー「ネクスト」が終わり暗転の瞬間、地鳴りのような拍手と歓声が起き劇場が揺れた。
照明が再びつくと、総立ちの観客が怒涛のカーテンコールで私達を迎える。
それは、ひょっとしたらニューヨークを上回る勢いだったかもしれない。
あの「静かなダメ出し」から一週間、それぞれの思いで楽屋へ戻ったあの出演者達が今、満員の
観客達と共に大いなる熱狂と充足感を分かちあっていた。
終演後、劇場のグリーンルームで乾杯が行なわれた。ソンドハイム氏がそしてワイドマン氏が
挨拶をする。二人ともサンキューとグレイト!を連発した。
その笑顔から、彼らがどれほど今回のプロダクションに満足しているかがわかった。
私はふと、あの光景が目に浮かんだ。
プレヴュー終了後、私が楽屋口を出ようとすると、この同じグリーンルームで彼らは現地スタッフと
共にミーティングを行なっていた。彼らの真剣な眼差しは一種近寄りがたいものすら感じた。
「問題はこのセリフのサブタイトル(字幕)だ・・・」
そんなことをワイドマン氏が言っている。アメリカ人の観客のために、セットの鳥居の部分に字幕が
映されるが、これの翻訳(もともとあるセリフ以外に日本サイドが付け足したものがある)と、
それを出すタイミングは彼らが直接関与し、事細かに指示を出している。
「治田さん、二千個くらいきっかけがあるんですよ!」
と、この字幕スタッフは頭を抱えていた。1秒でもタイミングを間違えると彼らはうるさく言うのだそうだ。
そう言えば客の笑いの方が、舞台上の「オチ」より先行する個所があったのだが、ある日突然二つは
一致した。彼らは毎日の様にチェックしていたのだ。

「ウェルカムトゥー神奈川」のシーンで、4人の芸子達を女将が客に売る場面がある。
三人は本当に女優が演じるのだが、一人は「オチ」として男がやっている。
先ず私がひとりの「女芸者」を指し「金かかってますの」と言う。これは亜門さんが付けたした
セリフだ。その後おもむろに「男芸者」に向かって「それなりにかかってますの」と言う。
後者は、二年前の稽古の時、思わず出てしまった私のアドリブである。
アメリカでもかなりウケたのだが、実は舞台上で演りながら、
「ああ、ここ、何て訳してるんだろ・・・?」と、ずっと思っていたのだ。
すると、字幕スタッフがある時、翻訳台本を見せてくれた。私は急いでぺージをめくった。
先ず最初が、“I invest a lot to this girl”(この女には沢山投資してますの)で、次が
“Not so much to this one ”(こいつには、そうでもないわ)であった。
私の発想は「やるだけのことはやったけど、この程度よ・・・」なのに対して、ワイドマン氏の方は
「はなっから、金かける気はないわ」である。
言いたいことは同じでも、視点に違いがあって、とても興味深かった。

明日、皆は帰国する。私と数名は三日ほどニューヨークに滞在だ。
風邪と戦いながらも無事終わることができた自分への小さなご褒美だ。
まだ熱っぽく、喉も、ひところほどではないがまだ痛い。あの日以来、ずっと酒は絶っている。
今夜はホテルの一室で怒涛の打ち上げパーティーだが、飲めそうにもない。
まあ、ニューヨークまでとっておこう。
NY組は11時半の飛行機だが帰国組はその1時間前に離陸する。飛行場でお見送りしよう。
明日は早朝のチェックアウトだ、今夜は早めに切り上げ、明日に備えなくては。
お疲れ、はるパパ・・・!
オレンジジュースを高く上げ、自分で自分をねぎらう。
心地よい疲労に、ワイドマン氏の一言がさらなるねぎらいとなった。
“Come back soon !!”



                                  つづく





【さようならワシントンDC】


このサイトは舞台俳優治田敦氏のオフィシャルページです。当サイト上に掲載されている画像データはこちらで管理しています。
これらのデータの無断転載を固く禁止致します。
2001. Webmaster by M. SHIRAI