前門の虎、後門の狼

八月二十九日、大阪、午前六時四十分、私はホテルのベッドに横たわっていた。
遠くで救急車のサイレンが聞こえる。
今日は二回公演、ホテルから劇場まではたった三分、だがとてつもなく遠く思える。頭の中で考えがめぐる。
あのシーンだけはやらなきゃ・・・サイレンが近づく。止まる。とにかくプロデューサーに電話しないと・・・
部屋のインタフォンがなる。お迎えだ。担架に乗せられる。生まれて始めて救急車に乗る。
右わき腹にナイフを刺されたような激痛、私はアルマジロよりもっとまるくなっていた。
「ここ痛いですか?」
先生、分かっているなら押さないで・・・ギャーと叫んだ後、心でつぶやいた。
「石かな・・・ご家族で結石になったかたいます?」
「うちの猫が・・」
「・・・・・・・」

「検尿してきてください」
「トイレ、ど、どこでしょう、ううっ・・・」
「廊下を左に曲がって・・・」
若い看護婦が延々と説明を続けた。そんな長い道のり耐えられるだろうか・・・
検尿カップを右手に持った私は「目的地」へと旅立つ。待合室の好奇のまなざしをくぐりぬける。
あった!必死の思いでたどり着く、と、そこには残酷な運命が待ち構えていた。
掃除中。
かまわず中に入る。
あかんでえっ!、おばちゃんにいさめられる。すんません、非常事態なんです・・・
突如、排泄警報が「後ろから」鳴らされる。出たらもうひとつトイレあるさかい・・・
おばちゃんの説明が終わる前に私は飛び出していた。前門の虎よりコウモンの狼の方が唸る・・・
あった!
中に入る。
しかしまたしても残酷な運命が待ち受けていた。
和式。
シミュレーションする・・・右手カップ・・・前から後ろから・・・
検尿・・・和式・・・だめだっ!
しょうがない、とりあえず「前」だけ片付けよう!カップをあてがい便器に向かう。
ううっ・・・コロン・・・ええっ・・・すーっと痛みが引いていく・・・石が・・・出た!?
しかし残酷な運命は私をほっておかなかった。
触診。
先生はゆっくりとナイロンの手袋をはめた。側には若い看護婦がいる。人差し指をじっと見つめて言った。
「ちょっと気持悪いかもしれませんけど・・・」
けど・・・!?
「はい、パンツおろして」
ぎゃーっ!側に若い看護婦がいる。
「ここ痛いですか?」
もっと右っ・・・ちがうっ!若い看護婦がいる。
「じゃ、ここは?」
か、かんごふがっ・・・!!!
はいっ、と彼女は事務的にティッシュをくれた。
屈辱の触診は終わった。どうやら本当に石は流れたらしい。
二回公演を勤めた。
朝、救急車で運ばれたのに「すっごおーいっ!」、皆口々にさわぐ。
劇場で私は話題の中心だった。
いやあ、ニ千人のお客様が待っててくださるんだから・・・
一躍、私は英雄だった。
だが、英雄は恐れていた。
二千人の観客の中に、あの若い看護婦のいることを・・・                     

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